ギリシア神話

ギリシア神話の詳細

私が学生時代に最初に買ったギリシャ神話の日本語訳は野上弥生子女史の『ギリシャ・ローマ神話』で、この本は充分満足のいくものだったし、簡潔に神話の世界の面白みを体験させてくれたが、それは英語で書かれたトマス・ブルフィンチの作品『伝説の時代』の訳であり、その後できればギリシャ文学者による原文からのオリジナルの翻訳が欲しいと思って探した結果、当書を選ぶことになった。訳といってもギリシャの多様な方言を使って書かれたもの、あるいは伝承から採られたもの、そして時代や地方によって変化する物語を一冊の本にまとめること自体非常に煩雑な作業だったと思えるが、呉氏の優れた点は先ず日本語として誰にでも理解できる平易な言葉によって訳しているということだ。また同じ神話の異稿についても適宜紹介されているが、常に本筋を明瞭にして読者が戸惑わないように配慮している。全体的に丁寧に推敲されていて著者の人柄が伝わってくるような流麗な文体を保っている、ひとつの文学作品と言っても過言ではないだろう。戦後間もない頃の出版とは思えないほどの完成度で書かれていることに驚かざるを得ない。私が購入したのは９５年の新装版で、７章７６８ページの本文の他に神々の系図と索引が付き、少ないながらイメージを補う白黒写真も数葉掲載されている。ギリシャ語の発音もカタカナを使って能う限り正確に記してあり、信頼性も極めて高い。特に後半に置かれた諸地方の伝説、英雄伝説、及び叙事詩の世界は訳者の文学的な力量が示されていて読み応えがある。これからギリシャ神話に親しみたい入門者の方には同新潮社の上下二巻に分かれた簡易な文庫版もあるが、こちらの単行本の方が活字の大きさやレイアウトの点でずっと読みやすくなっている。